hatarei #16
野球・プロレス・F-1・そしてアニメーションの仕事について・・・
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<アニメーター時代>

【アニメーター時代】
卒業後“ユニコーン”というアニメプロダクションに入社した。
動画での歩合の初任給は3〜4万円。
最初の仕事は「パンダコパンダ」だったろうか?
他にも思い出せば「北斗の拳」「マクロス」「タッチ」「ハッチ」「うる星やつら」などもあった。
3〜4年やって、最高で月800枚でしたが、平均すれば500枚くらい。
行き詰まってきたので、次のステップ目指して先輩に原画を教えてもらった。
それからは年功序列というか、後輩も入り、原画のみでなんとか生活できるまでになった。
TV東京の「げらげらブース物語」「ドメルとロン」や、「メイプルタウン物語」などを担当。
「あひるのクワック」「「楽しいムーミン一家」で厳しい演出さんにみっちりしごかれた。
そのおかげで、一段レベルアップできたと、今では感謝している。

その頃、アニメーターで家庭を養える人というのは尊敬に値する人でした。
自分もなんとかそうなるよう頑張った毎日でした。
しかし、1ヶ月でできるカット数は70カット前後。
やはり歩合給なので、休めば給料が減るし、ある日突然2倍の量(給料)が出来る訳はなく、
その上の生活レベルを想像する事はできなかった。
自分の限界量も分かってきて、将来に対する不安が増し、今思えばそれが辛さの根源だったのだろう。
完全分業化された中で、来る日も来る日もひたすら絵を描き続ける!その何と辛いこと!!
それに、デザインや演出など制作全般に関わりたいと言う思いも募っていた。
最終的に辞めていくものがほとんどで、本当に厳しい世界だと実感します。

仕事以外の思い出は“タツノコ”野球部のこと。
先輩のに連れられ“タツノコ”野球部に所属していました。
そこで出会った人たちが、今ではアニメ業界を牽引しています。
純粋に野球の事しか話さなかったので、もう少し親交を深めておけば良かったと思います。


プロフィール

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 籏禮 直喜
 1964年9月29日生れ
 血液B型

□略歴

□学生時代

アニメーター時代

□菁映社




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