今西コラム

戻る

「私の履歴」-家族-
昭和11年5月15日季節は春爛漫。 男の子の産声!
家具職人の親父は、土足のまま座敷に飛び込んで来たそうです。
女ばかり4人も続き、待望の男の子が授かり「天にも昇る」思いだったんでしょう。
おふくろは「春雄」と名付けたかったそうですが、久ひぶりにやっとの思いで男の子ができたんだから、と云って親父は「久雄」と名付けてしまったそうです。
まるで自分が生んだようなはしゃぎようだったそうです。

3年後弟の「ニ朗」が生まれ、その3年後妹の「里代」が生まれました。
弟、妹の名付け由来は聴いていませんが、弟はどうやら単純に2番目の男の子だから「ニ朗」と名付けられ、ただ将来朗らかに生きてくれればそれで良し、他に期待するもの無し、と名前からうかがえます。
妹には気の毒ですが、5人姉妹の末っ子なんで里子に出しても惜しくはない?と思ったんじゃなでしょうか。
弟、妹のいい加減な名前から想像してみると、誕生と同時に跡取り息子として私に相当期待したものがあったんじゃないか、と今さらながら思われます。
長女の「和代」、次女の「房代」、三女の「静代」、四女の「延代」の7人兄弟姉妹の大家族に揉まれて育ってきました。
現在は親父、おふくろ、長女、次女、三女、次男の6人は他界し、四女「延代」、長男の私、五女「里代」の3人が生き残っています。

家具職人の仕事は小さい時から何気なく見てきました。
大きな丸太の製材。
板の乾燥、選び方。
ノコギリやカンナの研ぎ方、扱い方。
木地の塗り方。
椅子の張り方など。
材料、道具類は私の生活の中に転がっていました。
しかし、材料、道具類を勝手に使ったりするとお目玉が飛んできます。

小学4年生の時、学校の「黒板消し」がぼろぼろになり、先生は雑巾で「黒板消し」の代わりをしていました。
刃こぼれノコギリ、磨り減ったカンナを親父から貰い受け、日曜日一日かかりで「黒板消し」をつくりました。
親父はチョロッと見るだけで手伝ってはくれません。
縁取りの鋲を打ち、出来上がった「黒板消し」を見て、親父がニヤッと笑ったのを覚えています。
先生に上げたら大変褒められ喜ばれ、暫くはヒーロー扱いだったことを思いだします。
5年生の夏休みには「鳥の巣箱」をつくり、何かの展示?に出品したら千葉県知事賞をもらい、校長先生に褒められたことを今でも覚えています。
半世紀前を思いだし、今でも家具職人の仕事に魅力を感じています。
                                   次回へつづく