戦後の東京は焼け野原と化し、ほとんどの人たちは掘っ建て小屋に住み、その日その日の食べものを確保するのに精一杯でした。
僅かな配給食料では全く足らず、また、栄養バランスも満たされず、オオバコ、タンポポ、イタドリ、セリ、ノビル、ザリガニ、タニシ、イナゴなど、手当たり次第に食べたものです。
空腹を満たすためシイの木に昇り「シイの実」を一日中食べていたこともあります。
おふくろのつくってくれた真黄色な「ライスカレー」、具は「ジャガイモ」「ニンジン」「タマネギ」ぐらい。 こんな時代です、肉などは手に入りません。 それにお米ではなく大麦だけのベースにカレーを乗せた代物です。 食べるのではなく、呑み込んだと形容した方が当っています。 それでもこんな贅沢な夕食はめったにありつけません。 食べ盛りの7人兄弟姉妹は、興奮して食べたものです。
お皿とスプーンに残った僅かなカレーをペロペロ嘗め、食器洗いなどしなくてもきれいになったものです。
朝、昼、晩とサツマイモだけの食事が一週間も続くと、さすがの私も幻滅を感じ、空腹なのに食べられなくなります。 蒸かして食べるのが定番でしたが、薄く切ってフライパンで焼いたり、潰して茶巾絞りにして食べたり、粉末にして「黒いパン」にして食べたりしましたが、どう加工しても「いも」は「いも」だ、と思ったものです。
また、ありものの野菜にうどん粉を練り、だんご状にして来る日も来る日も「すいとん」の食生活でした。
白米のご飯が食べられるようになったのは相当年月が経ってからです。
我が家では結婚以来40年間、8月15日は「すいとん」の日として今でも続けています。
当時の「すいとん」とはけた違いに旨い「すいとん」です。 リタイアしたら「すいとん」食堂として商売ができるかも? なんて云いながら今年も8月15日を迎えました。
昨今、ゴミ捨て場を通る度にカラスが残飯を食い散らかしています。
カラスは贅沢三昧に暮らしています。
就職難だ、リストラだ、と騒がしい世の中ですが、あの当時の食生活と比べたら天国です。
今ほど飽食の時代はありません。
食べ物を貪って生きたあの一時代を経験した身には、食べ物に目がなく、時々女房に「食べ過ぎよ」と叱られます。 あれから50年以上経った今でも卑しい食べ癖は、食べ物を残すことが出来ずにいます。
東京は戦災で焼け野原、家具を買い求める人などありゃしません。
このままだと、ますます貧乏生活へ追いやられ、命すらなくなります。
どんな経緯でそうなったのか知りませんが、親父は東京から千葉県佐原に一家を引き連れて引っ越しをしました。 小、中、高の学校関係、公官庁などの椅子や机をつくっていたことを思いだします。
私は小学4年生から中学3年生までの6年間、材木を運ぶトロッコが敷設された大きな家具工場内でガキ大将として君臨し、近所のガキどもと毎日遊び回っていました。
それまで肋膜を患い入院を繰り返したり、皮膚が弱く祖母に連れられて温泉療法をしたり病弱な身体でしたが、何故かこの6年間で丈夫な身体に生まれ変わりました。 外で遊び、飛び回っていたことが健康な身体をつくってくれたのだ、と今では貧乏な食生活に感謝しています。
次回へつづく
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