今西コラム

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「私の履歴」-アルバイト-
戦後6年目になると物資は巷に流れ、東京にも活気が戻って来ました。
親父は東京で再起を諮ろうと決意し、6年間住み慣れた佐原を引き上げ練馬に居をかまえました。
長女、次女、三女はつぎつぎと嫁ぎ、6人家族になりましたが、我が家は相変わらず貧乏生活から脱出出来ずにいました。
ある日、大事なお客様を迎えました。
出前はお客の分しか取れず、「お客さんという者は決して全部は食べないから、残ったらあなた達に分けてあげるからお客さんが帰るまで我慢するのよ」と諭されていました。
障子の穴からその様子を見ていました。
お客さんは一つ食べ、二つ食べ、ついに一人前のお寿司を全部食べてしまったのです。
子供たちはガラッと障子を開け、「全部食べちゃった」。
お客さんはびっくり、親父、おふくろの赤面した顔。まるで落語に出てきそうな話しです。

四女は税理士事務所で働き家計を助けていましたが、家具の注文があっても腕一本の職人仕事、食費を稼ぐのが精一杯でした。
それでもおふくろは高校までは何とか卒業させたい一心で自分の食事を減らしてまで私の授業料を出してくれたことを知っています。
「練馬に居」といっても屋根瓦のない6畳と4.5畳と3畳の板の間の掘っ建て小屋です。
兄弟姉妹は当然雑魚寝です。 夏の夜、寝つかれずにいると部屋は襖で仕切られているだけで、隣の部屋で親父とおふくろが何かぼそぼそ会話をしているのが聞こえてきます。
「久雄は幾つになった?」「久雄はどこの学校に行ってるんだ?」「久雄は何になりたいんだ?」こんな親父の声を耳にしたことを思いだします。
今思うと、私は遊ぶことが大好きで苦しい家計のことなど気にもせず能天気に毎日を過していました。
親父から見れば身体は一人前になり、私が家計を助けるべく働いて欲しかったではないかと察せられます。
高校卒業時、将来どんな仕事につきたいのか定まっていません。
何となく友人達と同じく大学へ行きたいぐらいしか考えていませんでした。
授業料の安い国立大学に行けるような学力も無いし、ましてや奨学金が貰える学力など全くありません。
だからと云ってさすがの私も大学に行かせてくれとは親には言い出せず、大学に行きたければ自ら入学金、授業料を捻出せねばなりませんでした。

一年間、浪人生活に入る覚悟をして、まずは入学金を工面することから始めました。
最初にアルバイトをしたのが着物の洗い張りです。
着物を解し、生地を洗濯し、竹籤の両端に小さな針が埋め込められている「しんし?」と云うもので約5cm間隔ぐらいに何百本も反物の端に射して行き、平刷毛で布海苔を塗りピンピンに乾し上げるのです。
幼い頃、おふくろが丈一間ぐらい、幅二尺ぐらいの板に着物地を張り、乾くと私が喜んでパリパリと剥がしたことがあります。
「しんし?」張りは慣れると鼻歌まじりで、指先を見ずに出来るようになりますが、最初は何度も針を指に射し痛い目にあいました。

こんなアルバイトもしました。
友人の紹介で「狂犬病予防注射の受付バイト」をしないかと誘われ、仕事の割には日当がよかったので二つ返事で飛びつきました。
短い期間でしたが練馬保健所に通いました。
飼い主は首輪を持ち、私は尻尾を持ちます。犬の尻に獣医が注射をします。この間犬が暴れないように飼い主と私がしっかり押さえつけているのです。
大きな犬になると結構力強く、女性の飼い主の時など首輪を放しはしなかと気になります。
運良く一度も犬に咬まれることはありませんでしたが、その後がいけません。
もともと私は犬には興味がなく、犬についての知識など全くありません。
注射が終わると書類に犬の種別を書き込むのですが、その時に限って飼い主に聴かず「雑種」と書いてしまったのです。それを見た飼い主は「家の犬は雑種じゃねえぞ、血統種の・・・・だ!」と烈火のごとく怒られた記憶があります。

友人の紹介で「浪速老舗名店街」10日間の「三越本店での売り子」のアルバイトもしました。
彼曰く「三越には美人が揃っているぞ」の一言で飛びつきました。
詰め襟の学生服での出勤が義務づけられ、大阪老舗の土産物を売るバイトです。
あまり売れず、暇を持て余し気味で一日中立ちっぱなしの仕事でした。
一日目より二日目、二日目より三日目と足が棒のようになり、今のような便座式ではなく和式便器だとしゃがむのにモモの筋肉が痛み、スーッとしゃがめません。
今にも後ろにひっくり返りそうになりながら用を達したことを覚えています。
それ以来デパートの店員さん、ホテルのボーイさん、ガードマンたちを見る度にあの時の辛い思いが甦ってきます。
それでも従業員食堂での昼食が何よりの楽しみでした。
現在はどうなっているか知りませんが、当時はお客様の食堂で出されているものが半額で食べられたのです。 それに綺麗な女性従業員が次々とやって来ます。

美女軍団の中での昼食は今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。
                                      次回へつづく