1年間のアルバイトと一部姉の援助で「受験料」「入学金」は何とか確保が出来ましたが、4年間の授業料は大学に通いながら収入を得なければなりません。 収入を得るにはほとんどが昼間に限られます。
あれこれ考えた末、明治大学文学部夜間部に行くことに決めました。
文学に興味があったわけではなく、何となく楽そうに思えたからです。
それと何となく映画。演劇には惹かれるものがあったからです。
だからと云って将来映画、演劇社会で食って行こうなんて考えてもいませんでした。
先ず最初にバイト探しを先決しなければならず、学生課の掲示板に張られている一番高額のバイトに応募しました。 ボディビルよろしく上半身筋肉モリモリの裸の写真を添付したら一発で大森のガソリンスタンドへ採用されました。
当時は東京でも暖房に灯油を使っていた家が多く、4月でしたが一斗缶灯油を自転車に載せお得意先に運搬する力仕事のアルバイトでした。
一カ月ぐらい経ち空き缶を荷台に6〜7個積み上げ、鼻歌まじりに第3京浜をよろよろ走っていたら、歩道をリヤカーに屑物を一杯積んだオッサンから「ヨッ!」と声をかけられました。
見覚えのないオッサンでしたのでそのまま通り過ぎ、ちょっと振り返ってみたら私以外にそれらしき人物は見当たりません。
「このオッサン俺を屑屋仲間と間違えやがったな!」どうしてもプライドが許さず、その日に止めました。
日当は安かったのですが力仕事のバイトは避け、御徒町に本社のあった山口自転車に伝票整理として採用されました。
当時山口自転車では「スマートレディ」と言う女性用自転車の月賦販売を全国的に展開していました。
全国から送られてくる伝票綴りにパンチ穴を開ける簡単な仕事でした。
ここには「山口ホール」が(小舞台)あり、歌謡ショー、漫才、講談、浪花節、落語など催しものがしょっちゅうありました。、仕事をさぼっては良く見たものです。
ラジオで良く耳にする「文楽」「志ん生」「円生」など名人落語を木戸銭なしで聞き入りました。
今、思うと何と贅沢なことだったんでしょう。
半年ぐらい経ったころ高校の友人から広告代理店の長期アルバイトの口を紹介され、日本航空に搭乗するお客さん向けに、地図、時刻表、小冊子などを半開きのファイルに閉じる簡単な仕事だとのこと。
そして友人曰く「隠れて勉強が出きるよ!」との言葉に2つ返事でバイト先を変えました。
隔離された部屋で若干のノルマを果たせばお終いです。
確かに「隠れて勉強が出きるよ!」と言う「環境」ですが社員のさぼり場所となっていて、社内関係、スポンサー関係などいろんな情報が飛び交い、勉強どころではありませんでした。
5時に退社し、御茶ノ水までは行くのですが友人と出会うと溜まりの喫茶店へ直行、ちょっとお金があるとトリスバーで最終電車まで居座り、もう少しお金があると新宿まで足を延し、小、中、高と無遅刻、無欠席で通いましたが、大学ではいい加減な学生生活を送っていました。
まともに勉強したのは学期末試験ぐらいでした。
ところが大学1年の終わりに大事件が起きました。
親父が肺ガンと診断され手術の施しようもなく、3カ月後59才であえなく他界してしまったのです。
のほほんと遊んでいるような毎日でしたのでこれから先どうしたら良いのやら途方に暮れていました。
代理店のアルバイト収入だけでは生活など出来ません。ましてや大学など諦めるほかありません。
私にとってこの時期ほど困ったことはありません。
ある日、隔離部屋で一緒にバイトをしていた仲間から、「女の子を紹介してくれないかなあ! 姉がナイガイのストッキングを販売しているんだ!」と声を掛けられました。
一銭でも多く収入を得たい時です。
「是非お姉さんに逢わせてくれないかなあ!」とこちらから懇願しました。
お姉さんとお逢いして、ナイロンとトリコットのニーレングスストキング(膝下)、ニーオーバーストキング(膝上)、ガラスのフルレングスストッキングの5種類をどれも150円で卸してもらい、月末精算と言う条件で交渉が成立しました。
大学出の初任給が10,000〜12,000円の時代です。女性の初任給はこれ以下です。
販売価格1足250円は結構高価なおしゃれ用品でした。
因みに現在の初任給と換算したら1足5〜6千円ぐらいに相当するでしょう。
靴下は足袋と違って右、左は決まっていません。 ほとんどの女性は2足買い求めます。
片方が破れても2足目の片方をおろせば良いからです。
それにパンティストッキングのようなシームレスは当時製造されておらず、ストキングの後ろを別糸でかがり合わせ、そのラインの色が微妙に違い、一度売るとずっと同じストッキングを買ってもらえるのです。
私の知るかぎりの女性に売りさばきました。鞄の中身は僅かな教科書とストッキングで一杯でした。
喫茶店のウエイトレスにはミスターストッキングと呼ばれるようになっていました。
販路拡大のため山口自転車の交換台には内緒で毎月5ダースぐらい置いて貰い、給料日に交換手のA子さんに集金、精算をしていただきました。
勿論Aさんには1足進呈しました。
友人から友人へ販路は拡がり、1ダースお買い求めの女性には1足進呈することにしました。
まもなく代理店でのバイト料とストッキングの儲けで財布には常時3〜4万円が入っているようになり、楽しい学生生活が送れたのも女性のお陰と今でも感謝しています。
どんなに努力しても「運」のない奴もいれば、私のように何の努力もしないのに「運」の良い奴もいるんもんです。
次回へつづく
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