中学3年の時、同クラスにいたF君(宮崎県出身)が近所に下宿をしていました。
彼は絵描きの才能があり芸大をめざして頑張っていましたが受験に失敗、とりあえず拓大に席を置きました。
ところが在学中にR子さんと恋におちいり結婚に発展、生活のため大学を中退、持ち前の絵描きの才能を生かしM漫画製作所へ就職。 アニメーションの世界へ進路を切り替えました。
私は公団住宅の就職試験を受けましたが二次試験で失敗。
大学4年在学中のある日、彼から一緒に仕事をしないかと誘われ、8,000円の給料でしたが何となく面白そうなので二つ返事でアニメーションの世界へ首を突っ込んでしまいました。
現場に入ると想像していたより遥に大変な仕事で、夜中の12時、1時は当たり前。
徹夜徹夜の日々が続きます。 睡眠不足に粗末な食事。 肉体と精神が人一倍頑丈でないと命が持たないぐらい辛い仕事でした。
仕事場はおやじ(社長)の自宅の畳6畳間、そこに4人の社員がL字型に正座、そしておやじの監視のもとに10時間以上働き続けるのです。
「輪ゴム」
机と机の隙間が5mm以上保たれていなけばならず、もし知らぬ間に接触していると肩越しに1cm幅ぐらいの輪ゴムが手にピシッと飛んできます。
これは結構痛く、暫くすると赤く腫れ上がります。
おやじ曰く「立ち上がる時両手を机に乗せるだろう!」「その時隣の机を動かしてしまうだろう!」
「隣の者が作画している時だったら絵筆が乱れ、書き直しになるだろう!」というのが理由です。
こちとらは何時間も正座してしている身です。
足の血行が悪く、痺れ、麻痺状態です。まるで江戸時代の寺子屋です。
両手を着かなければ立ち上がれません。
もう少し広い部屋であればこんな馬鹿げたことは起こりません。
それにしてもそうっと後ろに回って輪ゴムで痛めつけるなんて許しがたい行為です。
一言注意してくれれば済むことです。
「平筆」
当時は劇映画の全盛時代で、毎週のように東映からタイトルの発注がありました。
題名、キャスト、スタッフなど10数枚を筆文字で書く仕事です。
ほとんどがスーパーインポーズタイトルでした。(実写の画面に文字を白抜きで合成する)
クリアーなインポーズ画像を得る為には「限りなく黒色」に近い台紙に純白色でタイトルを書かなければなりません。
当然イメージにあうタイトルを書かなければなりませんがこの仕事はおやじの独壇場でした。
我々は助手として準備をしなければなりません。
必要な分量の黒色のポスターカラーを皿に研ぎ、平筆で10数枚の台紙にムラ無く塗り、乾燥させます。
準備完了するとおやじに報告します。
おやじがタイトルを書いている間、庭の隅にある井戸端で高価な平筆の洗浄です。
一旦筆の根に入った黒色は石鹸を使ってもなかなか落ちません。
冬の寒い夜などは手が縮こまり何回も何回も水洗いと石鹸洗いの繰り返しで悲しくなります。
それでも妥協は許されません。
洗い終えた平筆をそっとおやじに差し出すとたっぷり水を含ませ、白い画用紙に力一杯擦り込みます。
黒いラインが画用紙に残ると大目玉が飛んできます。
これが毎週です。月明かりの下で何回も歯を食縛って洗いました。
「電話の応対」
電話のベルが鳴るとドキッとします。
先方と応対していると脇から
「何処からだ?」「誰からだ?」「タイトルか?」「線画か?」「アニメか?」「いつまでだ?」
と応対中に問い掛けて来ます。
その度に「ちょっとお待ち下さい」の連発です。
こちとらはスポンサーよりもおやじの応答を優先してしまうので後でスポンサーから小言を受け、仕事を随分無くしたと思います。
それでも当時はアニメ会社が少なく何とかやっていけた時代でした。
「ネギ嫌い」
出前で「かけそば」を取りネギの香りが狭い6畳間に漂いました。
突然おやじがその「かけそば」を取り上げ、有無を言わせず庭にぶち撒けたのです。
「ネギの匂いが大嫌いなんだ!」 全員暫し茫然!
こんな話しを先輩から聞いていましたので大好きな「そば」は取れませんでした。
「おやじ殺し」
日頃社員はおやじに対して腹に据えかねるものがありました。
ある日、新顔が入社して来ました。
タバコを買いに出掛けそのまま消えてしまい「入社〜退社の勤続2時間」という奴がいました。
こんな話しが切っ掛けで徹夜作業中、
「後ろから首を絞めて殺してえなぁ!」
「どうせ殺すなら真っ裸にして紐で縛りつけ、カミソリでちくりちくり切り刻んで殺してえなぁ!」
「紐じゃつまんねえよ! 鉄条網にしたらどうだい!」
「そらぁいい考えだ!」「それも逆さまに吊るしてよう!」
「まるで屠殺場でねえか!」
「おやじの肉を鉄板で焼きネギをたっぷりぶっかけ、ジューッと醤油をたらしたらどんな味だろうなぁ!」
こんな物騒な「おやじ殺し」の話になると花が咲きます。
それでもおやじが寝てしまい徹夜作業になると仕事がはかどったものです。
何せ1年半で約60人の社員が入社〜退社したほどの職場です。
F君と私がここで頑張れたのは2人には独立自営という夢があり、アニメーションをマスターするまでは何としてでも堪えなければと誓いあった経緯があったからです。
こんな環境でアニメーションの「いろは」は何とかマスターしたものの、まだ資金計画は0%に近い状態でした。
そんな時「鼻くそ事件」を起こしてしまったのです。
事件とは、毎朝決まっておやじは仕事場にパンとジャムを持ち込んで朝食を摂ります。
おやじが食べかけで席を立った時です。
そこにいた全員が自然に無言で鼻くそを丸めてジャムの中に刷り込みました。
「鼻くそジャム」を食べる様を心待ちにしていました。
おやじはそれに気づかずいつものようにモグモグと食べてしまったのです。
小さな小さな復習でしたがあの時の痛快さは今でも鮮明に覚えています。
ところが一カ月後のある日、出勤してみると嫌な空気が漂っています。
「鼻くそジャム」がバレてしまったのです。
誰かが密告したとしか考えられませんが後の祭り、即、首になってしまいました。
時は昭和36年3月1日、これがきっかけで「意気込み」だけで独立する羽目になりました。
資本金は無く、さも会社法人であるかのような「菁映社」の名称でスタートをしました。
F君の奥さんが経理担当、F君は制作担当、私は社長として営業担当、その他入社したての新人3名を引き連れ計6名での陣容です。
事務所など借りるお金などありません。
なんの相談もせず奥さんの実家に乗り込み強引に6畳の一部屋を月一万円で貸してもらい、電話も引けず強引に実家のものを使用させてもらいました。
次回へつづく
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