笑いの神様“古今亭志ん生”が、
天才戯れ絵師“山藤章二”の絵で
現代に蘇った!
主人公の一人は不世出の落語家、五代目古今亭志ん生。
1973年83歳で没してから30年たった今でもCD・テープは今なお売れ続けています。
時代を超越した志ん生の声、しかし映像が無い。 今でこそ評価されている志ん生ですが、当時の高座映像となるとほんのわずかしか残っていません。
もう一人の主人公、不世出のイラストレーター山藤章二氏。
制作総指揮の小島氏はこの企画が始まった時から「山藤さんの絵しかない」と決めていたそうです。
イラストという静止した絵で作品を創作してきた山藤さんにとっても、アニメという動く絵への挑戦は今回が初めてでした。
その「現代の浮世絵師」山藤さんもじつは落語復権を願う一人だったのです。
《ビデオ》
Vol.1 火焔太鼓
Vol.2 黄金餅
Vol.3 替り目・強情灸
Vol.4 妾馬
Vol.5 たがや・あくび指南
Vol.6 うなぎの幇間
Vol.7 大工調べ・親子酒
Vol.8 稽古屋
Vol.9 金名竹・風呂敷
Vol.10 饅頭こわい・鮑のし
続1 こんにゃく問答
続2 志ん生小噺集
《DVD》
Vol.1 火焔太鼓・あくび指南・金名竹・小噺十八番
Vol.2 黄金餅・大工調べ・替り目・こんにゃく問答
Vol.3 妾馬・たがや・稽古屋・饅頭こわい
Vol.4 うなぎの幇間・強情灸・親子酒・鮑のし・風呂敷
チーフ・アニメーター・・・・・・・籏禮
八木 大(フリー)
企画
エーピーピーカンパニー代表の小島豊美氏と菁映社代表の今西久雄が精魂込めて生みだしたエンターテイメント作品です。
演出面では、主人公が座ったまま30分間話をする。
じつはこれほどアニメにしづらい題材はありません。
山藤さんを納得させ、また完成の確かな手応えを掴むためにも試作品を作ることになりました。
その過程では、「やはり高座風景だけでは間が持たないのではないか?」という不安から、志ん生がおかみさんに変身したり太鼓を出したり、またカメラをカット割りしたり、というシーンがみられました。
でも志ん生の本当の面白さを出すには志ん生そのままを出すしか無い!という結論に達し、あえてそこに挑戦したことが結果的には成功したのかもしれません。
パソコンがアニメ制作にまだ実績のない1993年当時、我々はセルを使わずに迷わずMacを使用しました。ラクゴニメはパソコンでなければ制作不可能な作品だったのです。
もしセル・フィルムだったら・・・
基本的に1カメなので1カット5分・10分は当たり前。すると1カットの撮影で、口パクだけで数百枚のセル、1万回以上のセルの置き換えとスイッチ・・・!ましてやフィルム撮影となると1つのミスでそのカットは全部パー!もう一回撮り直しー・・・となるのです。
また、セルに絵の具で色を塗るのは大変な職人技なのです。

制作
作業はスポッティング→原画→動画→彩色→撮影というアニメ従来の流れとなります。
スポッティングでは30分近い高座のセリフを1週間程掛けてアニメ用のタイムシートに書き込んで行きます。。
具体的な所作を演技指導してもらい、原画(動きのキーになる絵)を2ヵ月掛けて描きます。原画マンのデッサン力とタイミングがアニメの生命線、正に生命を吹き込む作業です。
動画までは紙に描くアナログの世界です。
彩色以降のパソコンでのデジタル作業はかなりの成果がありました。
動画をスキャンしてパソコン上で塗り、撮影にはベーカムにコマ撮りできる自社システムを使いました。
アニメというと一般に野山を駆け巡り空を飛び回る!と行きたい所ですが、出演者は志ん生、場所はずーっと高座の座ぶとんの上、カメラの切り替え無し。これはほんとうに難しい。
“おかみさん・殿様”の姿を描き分けるのでなく、志ん生が演じるところの“おかみさん・殿様”を描き分ける。というか演じ分ける。これはもう自分が志ん生に成り切る以外ありません。円菊師匠らに演技の指導をいただいたりもし、それはもう弟子入りの心境でした。
また山藤さん始め様々な方の声で、だんだん良くなったね!と嬉しい評価をいただく事ができました。ですからこのシリーズ中、志ん生の演技もだんだんと成長してっているのです。

完成
1993年11月30日の夜、発売を前に新宿末廣亭で「志ん生独演会」と題して試写会が行われました。夜10時の開始にもかかわらず定員の400名をはるかに上回る1000名のファンが詰めかけました。講座に大型テレビを設置して上映をする、それを観るためにです。
そして、遂にアニメの志ん生が画面に現れました。途端に場内は大爆笑の渦。笑い声はその後も新宿の夜にこだましました。
アニメーターとしての喜びを実感できた作品でした。自分が描いたアニメを見てくれた人が大笑いしている!こんなに嬉しい事はありません 。
重い足取りで向かった試写会でしたが、以後勇気を持って続ける事ができました。
ビデオパッケージの著名人からのメッセージは、私の楽しみの一つでありました。
志ん生を知らない私は、そこであらためて志ん生の凄さと、自分がこの作品に参加できた喜びを実感するのです。
以下は談志師匠です。本当アニメーター冥利に尽きます。(籏禮)
何て書こう、この嬉しさを・・・・・・。
“嬉しい”のだから“嬉しい”というだけであとは脈絡などあるものか。
山藤章二に感謝!!のひとことである。よく創ってくれた。
うれしかったのなんの
笑ったのなんの
ひさしぶりに歓喜(よろこび)があった。
志ん生がそのまま出現(でて)きた、還ってきた。
いや、志ん生以上に・・・・・・。
それは山藤章二さんの志ん生に対する思い入れであり、それはそのまま
談志(わたし)の志ん生に対する思い入れであった。
思い入れとは、物事を客観的に考えられない人とは、同じ思い入れとい
ってもどこかに違和感が生じるものだ。
が、この志ん生アニメの章二さんには生じなかった。見事になかった。
山藤章二と知り合っていてよかった。
家元(わたし)にいわせりゃ、山藤章二生涯の傑作であろう。
アニメとはこんなに可能性のあったものなのか、とあらためて識った。
あの顔、あの仕草、あれが志ん生の集大成であり、我が青春の志ん生である。
口惜しいから、あれは山藤章二の偶然の産物だ、といってやろうか・・・・。
志ん生師匠がアニメを観たらこういう・・・。
「いいよォ、山藤ってのは、うん。エー、いいよォ・・・、うん・・・」
文楽師匠もいうだろう。
「ようがすよ、あれが孝ちゃんでしょうね」
円生師匠もいう。
「山藤章二(このひと)は結構でゲス。バカうまでゲス」
やってくれたね、章二さん!!
立川談志
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