私がF-1を見出したのは1992年、マンセルがブッチギリでチャンピオン獲得した年です。
この頃ゲームが好きで、F-ZEROや他のレースゲームをやりながら、
F-1への興味を持つようになりました。
当時圧倒的なマンセルより、苦しんでいるセナを応援してました。
それがいずれアンチ・シューマッハにもつながるのですが。
翌年のドニントンは、1周目に5台を抜く奇跡の走りでした。
そして忘れられぬ1994年サンマリノ、時代が変わろうとしているのだな!
と受け止めざるをえませんでした。
セナ亡きあと、何を楽しみにF-1を見ればいいのだろうか?
それは、「誰かシューマッハをぎゃふんと言わせてくれ!」というテーマでした。
あまりにも速く、強くなり過ぎた怪物は、目ざとい存在でした。
そこで注目したのは、ロータスで走っていたミカ・ハッキネン。
F-1デビュー前、伝説のマカオGPでシューマッハと接触して涙を飲んだ男。
ロータスからマクラーレンのテストドライバーとなり、
突如巡って来たマクラーレンでのデビュー戦。
同じマシンに乗るセナより速い予選タイムを出して、「さあ、いよいよ!」と思ったのだが!
しかしその期待が実際のものとなるまでの年月はとても長かった。
よく自分もそれに耐えて中継を見続けてきたなと感心してしまう程長かった。
ヒル、ビルヌーヴがチャンピオンになろうが、自分の心は晴れなかった。
途中変てこなウィングをつけて走ったり、事故で再起不能説が出たり、
スポンサーが撤退するなど、自分自身も希望を失いかけたくらいだった。しかし・・・
始めてみる銀色のグラデーションカラーのウエスト・マクラーレン・メルセデスのマシンは、
大いに期待を膨らませてくれた。
そして、やっとハッキネンの時代がやって来た。
1998年開幕から連勝、あのモナコでも勝った。しかしフェラーリも追いすがる。
そんな中印象深いのは、終盤の14戦ニュルブルクリンク。
全車周回遅れにして圧勝した開幕戦から、ここに来てフェラーリシューマッハが猛追。
なんと2連勝で遂に80対80全くの同ポイントに並んだ。
そしてニュルブルクリンクの予選もハッキネンは3番手でフェラーリがフロントローを独占。
流れは完全にフェラーリにあった。しかし・・・
スタートで先行されたあげく、2位のアーバインが壁となってシューマッハとの差がみるみる広がり、
遂に10秒近い差に。
負ければ王手!これで万事休すかと思った。
だが十数周めでアーバインを抜くと一気にスパート、そして最初のピット勝負が始まる。
シューマッハが先にピットイン。その間ハッキネンがファステストを連発。
そして運命のピットイン。ピットから出てきたハッキネンはギリギリシューマッハの前に出た。
なんと5秒強あったリードを1回目のピット作業で逆転したのだ。
してやったり!燃料を多く積んでピット作業を短く済ます作戦が見事適中した。
今までさんざんやられてきたピット作戦を、この追い詰められた状況で気持ちいいくらいにやり返してみせた。
その時ばかりは堂々たる走りっぷりだった。
これで流れを変えたハッキネンは6勝目、最終戦2位でもチャンピオン決定とがぜん有利に。
そして最終戦、鈴鹿。4点差で迎えた大一番。これほど重苦しい思いで見るレースはなかった。
しかし、数分後には勝利をほぼ確信できた。ポールのシューマッハがエンスト!最後尾スタートとなる。
それでもさすがに追い上げるが、無茶したせいかタイヤがバーストしてリタイヤ。
ずーっとF-1見てきて良かった〜と思った瞬間だった。
翌年も随分アーバイン相手に最終戦までハラハラさせられた。
「もうたくさんだ!」相当寿命が縮まった風なコメントは今思えば引退を早めた引き金だったのかもしれない。
それを思えばシューマッハのなんとタフなことか。
スポーツであり、チームプレーでもあり、ドライバーにもドラマがあって面白い。
同じフィンランド人のライコネンも素晴らしい。
特に2008年、残り2戦で17点差をひっくり返した最終戦は鳥肌立てて観てました。
毎年終盤のタイトル争いは心臓に悪いくらいドキドキします。
選手にとっては一生を左右する戦いを冷静にやっているのだから、やっぱり凄い。
また来年も予想不可能なドラマが待ってそうで、毎年恐いくらい楽しみです。